戦う君よ、世界を愛せるか。

自己泥酔でふらふらなオタク

解釈というか考察というか兎に角『エゴと一途』について喋らせてほしい


ジャニーズWEST9枚目のアルバム【POWER】
その初回盤Bに収録されている、中間さん・濵田さん・小瀧さんのユニット曲『エゴと一途』

過去にも何本か曲解釈を書いたりしているくらいには解釈厨である私だが、特にこの曲の内容について深く考えたりすることはなかった、そう

あの濵田崇裕を見るまでは。



というわけで、哀れにも『エゴと一途』に囚われてしまった女の、自己解釈妄言狂い咲きです。
ご自身の解釈を大切にされたい方、テンション高めの私が苦手な方はそっとお戻り下さい。
あと、別場所で呟き散らかしたので、もしかしたら見たことある表現があるかもしれませんが、見て見ぬフリして下さい。









今回のユニットの組み合わせや曲は全てスタッフさん主導で「スタイルのいい3人にシュッとした衣装で」といった意向らしい(この時のラジオ書き起こしてなかったからうろ覚えニュアンス)

ご本人達による解説はこちら
https://youtu.be/NMRoy9HbcrM


歌詞からも大体分かる通りだが、女性目線の歌だと明言されている。
私は常々、ジャニーズWESTに女性詞を歌ってほしいと思っていたのだが、グループ曲として女性詞と思われるのは『愛の奴隷』と『エエやんけェ!!』女の子パートくらい(!?)で、ユニット曲を入れても明言されているのは視点が変わる『The Call』の半分くらいだろうか。

それがいきなり『エゴと一途』『真っ直ぐ』と一度に2曲もお出しされてしまったので、もうそれだけでもハッピーハッピーで…………話が逸れた。



今回の『エゴと一途』に関しては、ブログで何度か触れているので、恐らく淳太くんが主に演出を担当したのだろうと思われる。

歌やダンスでの表現だけでなく、小道具や映像を使って最大限に曲の世界観を具現化し、それぞれがその世界の主人公として一曲の中で生きる。
『エゴと一途』では殊更この"それぞれが主人公"というのが、世界観を大きく広げる重要なポイントになっていると思う。
なぜなら、同じ曲を歌い踊っているはずなのに、淳太くん・濵田さん・小瀧くんそれぞれの表現があまりに三者三様すぎて、見る人によって全く違う印象を受けるからだ。

というわけで、今回は3人それぞれの表現から私が勝手に受け取った「"解釈"の解釈」をつらつらと並べていきたい思う。勿論これは受け手の勝手で、3人がそう解釈したという断定ではないのでご留意いただきたい。


ちなみに、私はこの曲を最初に聞いた時、漠然と「ホストとその客(本営)」のような関係をイメージしていて、いつものようにきちんと歌詞を考察しようとした後も「浮気や不倫」「セフレ」「ストーカー」「アイドルとファン」など色々な考え方が出来たが、これ!と決めたストーリーがあるわけではなく、あくまで女性側の感情のみに焦点を絞っているので、関係性の部分については深掘りしませんでした。



まずは一連の演出について。

前曲終わり映像入り。
モニターに映し出されるのは、ドアスコープを覗く濵田さん。その視界の先にはホテルの一室でベッドに沈み込む男女。
それをじぃっと見ていた濵田さんはドアスコープから目を離すと、背を向け部屋から離れていく。

カメラが切り替わると淳太くんに。洗面台に手をつき鏡を見ると、映し出されるのは小瀧くんの姿。
現実と鏡が反転し、小瀧くんがふっと手元に置かれていた仮面を手に取りゆっくりと目元に持っていくと、モニターは3パラになり仮面をつけた3人が映る。

イントロが流れ始め、モニターには赤い文字で『エゴと一途』のタイトルが。
上手小島に濵田さん、下手小島に淳太くん、バクステに小瀧くん、と位置に置かれたソファの元に映像と同じ仮面を被り登場する。

1番はそれぞれソファにて。
もし違っていたら申し訳ないが、小瀧くん→淳太くん→濵田さん、とパートが変わる時に座っている位置がリンクして繋がっているのは意図的かな。脚組んでいるのも、手の位置もなんとなく繋がっているようだったので(だとしたら好きがすぎる)
2番は花道を移動しながら、2サビは飛んでDメロでセンステに集まると、上から赤と白のリボン状の布が降りてくる。頭上には大きなシャンデリア。白い羽根も舞い落ちる中ラスサビ、曲終わりには布を全て振り落とし、その風圧で床に落ちた羽根がふわりと宙を舞う中、暗転。


ソファ・シャンデリア・羽根については、単純に曲の雰囲気を出す演出だとして(深読みも出来るがキリがないので)
仮面については、外すタイミング等を考慮すると、ここは3人共通で「"エゴ"を隠すための"一途"と云う仮面」の解釈が個人的に一番しっくりくるかな、言葉の先はさておき。
そしてセンステに降りてくる赤と白のリボン。最初に見た時は、どうしても自分の中で紅白のめでたい感が勝ってしまって、どちらか一色にすればいいのになぁと思っていたのだが、それはとんでもない過ちだと後に気付く。
なぜなら、赤いリボンは"エゴ"を、白いリボンは"一途"を表しているとすれば、個人的三者三様の解釈にピタリと当て嵌まってしまうからだ。


長い前置きでしたが、さて本題。




これはエゴなんじゃないか、と悩む白の"一途"小瀧くん


こういった曲の表現に長けている淳太くん、無自覚に色気を垂れ流す濵田さんという年長2人に対し、まだ20代である小瀧くんはこの『エゴと一途』において、ピュアさを残す唯一の良心だと思う。

「あなた」のことをまっすぐ"一途"に愛しているつもりなのに、度々湧き上がる感情に塗られ苛まれ、この愛はそんな綺麗なものではなくただの"エゴ"なのではないかと思い悩み、それでも逃れられずに沈んでゆく。

小瀧くんの解釈は、3人の中で最も歌詞に忠実に「エゴと一途の境目」を見失っている様を表現しているように感じた。

そう どうにか 隣にいたいなど
とっくに 望んじゃいないよ そういうもんさ

歌詞の世界には全然関係ないんだけど、仮面をつけた小瀧くん、
闇オークションに売られた傾国の美青年すぎない??

……すみません、ヘキが出てしまいました。
なんかね、こう、人を狂わせる美しさが滲み出てる気がしてさ。そういう曲もやってほしいよね(どういう曲?)
このパート終わりに脚をスッと上げて組むんだけど、その脚が長いのなんのって。
ソファに寝転び腕だけで踊るサビの、ソファに乗せられたその脚が長いのなんのって。

1サビ終わりの花道移動時にふっと笑って、その辺り一帯が「ひゃあ…っ!」となるのは流石。自らの美しさをよく分かっていらっしゃる。

指先がなぞる唇
うだるような口づけを
気づいたの わたし本当は
あなたのこと 独り占めする夢見てる

Dは小瀧くんハモリパート。
この部分は3人とも、センステに降りてきたリボンを使っているが、私の見た限りでは小瀧くんだけが毎回白いリボンを扱っていた。

触れるか触れないかぐらいそっと白いリボンに手を添え、苦しそうに切なそうにそれを見つめる。

これこそ、小瀧くんが唯一の"一途"側であると私が受け取った理由である。
もし淳太くんか濵田さん、どちらかが同じ表現をしたとしても恐らく説得力に欠けるだろう(はまじゅんをなんだと思ってるんだ)
小瀧くんだからこそ、この曲でも一縷のピュアさを表現できたのではないかと思っている。

いつかの声を 徒に慰めの当てにして
また「愛」に耽る

曲を聞いた時点では何も考えていなかったんだけど、ライブで見て初めて「!?」になったパート、小瀧くんだけはこの歌詞割り振られてないのもまたピュアさ守られてていいよね(はまじゅんをなんだと思ってるんだ)


入った座席の関係もあり、正直小瀧くんに関しては舐めるほど見られていないので、軽率に語ることが出来ない。悔しい、何故私の目玉は6つでないのか……悔しい。
早く映像化してほしい、お願いだからマルチアングルをつけて……。




エゴの自覚がありつつ、これは一途なんだと浸る赤と白の混じった"エゴ"淳太くん


演出を(多分)手掛けたこともあり、まさに淳太くんの表現の真骨頂。いつだって彼は期待通りのものをきちんと期待通りプラスαで届けてくれる。

決して美しく叶うことはないのに「あなた」のことを"一途"に想っている自分に酔っている。それを含めて全て"エゴ"である自覚も当然ありながら、ただこの状態の痛みすら快感として楽しんで浸っているような。

淳太くんの解釈は、私が曲を聞いた時に感じたイメージと一番近い、というかほぼそのままの表現のように感じた。

エゴと一途の境目に 今更気づいても戻れない
「わたしだけはあなたのこと 信じるって決めたから」

自分に酔わずにこんなこと言える女なんています?(最低偏見発言)

しかも淳太くんさ「戻れない」のところでウインクしながら、人差し指立ててピッと振って余韻を残してくるりと踵を返すんですよ。えっ、自分に酔わずに以下略

指先がなぞる唇
うだるような口づけを

D淳太くんパート。
私の記憶にある限りでは淳太くんは毎回赤いリボンに触れていた。

赤いリボンを首にかけるようにして扱うことが一番多かったかな。
ちなみにこのパートを歌いながら思いっきりカメラにウインクしてる時もありました。一途な想いに悩み苦しんでいる女性とは到底思えません。

徒に慰めの当てにして また「愛」に耽る

ラスサビの踊りに入る前のソロパート。
まるで幸せの絶頂のように、あるいは全てを諦めたように、恍惚とした笑みでぼうっと何処かを見つめ歌う様は、ゾッとするほど美しかった。
後述する濵田さんの「独り占め」の解釈が"そう"であるならば、ここの淳太くんは反対に"そう"なることを望んでいるかのようですらあった。


ただ、濵田さんパートの「つまんない漫画に挟んだ栞が 積み上がって見えなくなったって」の個人的な解釈として、この女性は過去にも別の人達相手に何度も同じようなことを繰り返してきたのではないかと思っていて。
叶わない恋に恋している、報われないのに一途な自分に酔っている、本当に好きなのは「あなた」ではなくそんな自分自身である。

もしたとえ淳太くんにそんなつもりはなかったとしても、淳太くんの表現はそんな私の曲解釈にドンピシャリだった。担当たる所以、やはり信頼しかない。



ここからは解釈と関係なく残したい好きポイント。

「思い出は」の前、ソファに手をついて一回転して、そのまま後ろ手ソファについたまま腰反らせているところが妖艶すぎて好き。
「嘘並べて」の指先が神経行き届いていてとても綺麗。
サビ「届かなくていい」の後、起き上がるためにソファの背を掴む手の動きが艶かしくて苦しい。
「いつかの声を」の所、腕を下ろす振りだろうに、淳太くんだけ耳元から首筋をなぞる様に撫でるの、あまりに淳太くんすぎて好き。
「徒に慰めの当てにして」これも本当はただソファから降りるって振り付けだと思うけど、片膝ついて太股に手を置いてゆっくり沈みながら振り返るの、ここ一番女性っぽい表現で好きしかない。
そして「今更気づいても戻れない」「うだるような口づけを」の解釈一致ウインク、ありがとう。ありがとう。
はまこたは胸元がリボンのようになっているけど、よくリボン系の衣装着る淳太くんだけ肋骨の辺りからリボンひらひらさせてるのも最高です。

あと仮面を外す時、宮城は両手で外していたけど、以降は片手になっていた。
淳太くんっていつも表現プランをガチガチに決めて、途中でいいの見つかったら変える、くらいだったけど、今回は割と固めていなくて、回を重ねるごとにどんどん変わっていった気がした。
もしかしたら宮城時点では、Dメロ部分白いリボンを触っていたかもしれないし、愛に耽っていなかったかもしれない(それどころではなくて記憶が曖昧)
「つまんない漫画に」で人差し指を口元に当てるのとか、ラスサビでターンする時にわざとリボンを巻き込んで回るのも途中からだった気がする。あのターンの魅せ方、あまりにも美しくて泣きそうになった。

総じて、やっぱり私は淳太くんの創る、表現する世界観が大好き。




これは一途なんだと信じて疑わない、鮮血のように赤い"エゴ"濵田さん


この人の所為なんです。
今回ブログを書くに至ったのも、毎公演狂いに狂っているのも、谷本さんを拗らせているのも(?)、すべてこの人の所為なんです。

前2人は先に解釈を書いたけれど、濵田さんに関してはそれを書くことが出来ない。だって濵田さん、

毎回違う女を降ろしてない?

日によって公演によって、全然表現が違うもん。あれは演じてるっていうより、その時々で違う女性を自分に降ろしてるっていう方がしっくりくる。は〜〜〜これだからモテる男は〜〜〜。
まぁ、同一の女性だけど激しい情緒の波に身を任せて表現してたら、日によって変わったっていうのでも、それはそれで大変しんどいので最高なんですが。


何故私がここまでエゴイチに狂うようになってしまったのか。それはとある横浜公演での濵田さん。

気づいたの わたし本当は
あなたのこと 独り占めする夢見てる

Dの濵田さんパート。
おもむろに赤いリボンを右手に巻き、そのまま左手をすべらせ間をあけ握り締めると、自らの首元辺りでピンッと横に引っ張って、目を見開き狂気的に笑った。
それはまるで、カメラのアングルが切り替わった後にそのリボンで相手の首を絞める画が容易く想像出来てしまうほどに。

えっ……濵田さんの中でこの「独り占め」って "「あなた」を殺して「わたし」だけのモノにする"っていう解釈だったの……?

雷に撃たれたような、鈍器で頭を殴られたような、そんな衝撃だった。膝から崩れ落ちるかと思った、というか堕ちた。

元々この曲に関して深く考えていなかったとはいえ、比較的曲のイメージは事前にある程度固めてからライブに行くタイプの人間で。
そのイメージ通りのものが見られた時の気持ち良さといったら、もう。

そんな理屈解釈人間のそれなりに長いオタク人生で、ここまでパフォーマンスで解釈をひっくり返されたのは恐らく初めてで、もう本当に本当に衝撃だった。

ねぇ、待ってよ。宮城の時はそんなんじゃなかったじゃん。自嘲気味に哀しく笑うだけだったじゃん。何があったの。何が"貴女"をそこまでに至らしめてしまったの。(全ての文末に号泣の絵文字)

友人の濵田担によると、ある日はこのパートで縋るようにリボンを握り締めて目を閉じていたこともあるそうで、そんなんもう、そんなんさぁ……

ちなみに会う濵田担は口を揃えて、濵田くんは毎回必ず赤いリボンを執着のように握っている。と言います、助けて。


このパートと同じく、公演によって表現が大きく変わるのは、1サビ後の仮面を外した後かな。
カッと目を見開く時もあれば、笑う時もあったし、虚な目で一点を見つめる時もあった。

淳太くんは分かり易く世界観没入タイプだけど、次点でそうなのは濵田さんだと前から思っていて。
その没入は魅せることを考えた表現というよりも、演技に近い表現、もっと言うとメソッド演技的な、そういう繊細さと生々しさがある表現だなぁと。
そんな濵田さんの表現と非日常的奥行きのある曲が合わさると、こんなにも人を狂わせるモノが出来上がってしまうのかと、恐ろしさで震えてしまう。


最後に入った公演で見た、天を見上げて微笑みながら白いリボンを音も風もなくふわりと掻き分ける濵田さんが、あまりに鮮やかに焼き付いて忘れられなくて。

最初に、日によって違う女性を降ろしていると言ってしまったけれど、ツアーはじめは悲哀的、その後突然激情に駆られ狂気に満ちたが、後半になるとその昂りは鎮まり、曇りなく一途と信じて純粋に狂った愛が研ぎ澄まされた殺意と共に残った、といった感じだった。何言ってるか自分でも、まぁ、分からない。もし、伝わっていたら嬉しい。

最後に辿り着く「結末」としての名古屋公演を、この目で見届けられないのが非常に残念でならない。



そして私は私でこの文章の着地点を見失ってしまった。どうしよう。


あ、そうそう。
「それこそが愛だから」で寝転ぶ時、右手を伸ばして何にも届かないままソファに倒れ込む濵田さん、めちゃめちゃ好き。よく見る画的表現としての押し倒されてる感もあって本当に良い。
あと濵田さんって、魅せ方より感情を優先していると思っていたのだけど、ある公演の「気づいたのわたし本当は〜」からの一番の見せ場と言っても過言ではないこのパートの時、右手で赤いリボンを握り締めた後、カメラに抜かれている画角で白いリボンが自分の顔に被っていることに気付いて、それをパッと振り払ったの、プロアイドルすぎて、………ッ好きッッッッ!!となってしまった。

振り払うといえば、最後アウトロでリボンの中に入っていく時、はまじゅんはともかく小瀧くんですら少々乱暴に、鬱陶しそうにリボンを振り払って掻き分けていくの、めちゃくちゃ刺さって好きだったな。




本当に、同じ曲を同じ演出で披露しているのに、ここまで三者三様になるというのが珍しくて、大変楽しく狂わせて頂きました。
それぞれの表現の違いは、事前に打ち合わせしたのか、披露していく中で明確に分かれていったのか、偶然にバラバラだったのか、はたまたこちら側の勝手な受け取りの暴走なのか。

知りたいような、知りたくないような。
どこかで話してくれるかな……一番は円盤化の時にオーコメ付けてくれるのが嬉しいのだけども。オーコメ大好きだからさ!



はーーー喋った喋った!!
本当に『エゴと一途』を見るのは楽しかったです。お付き合いいただきありがとうございました。
同担の感想も、濵田担小瀧担の感想も、他担の感想も、非常に気になるのでみんな沢山語ってね!!!!